デリヘル
ちんこしゃぶられる、顔見られる、目が合う、良い雰囲気?を作ろうと努めてくれてる。なんとも思わない。女がちんこをしゃぶりながら自分の事を見るとエロいと多くの男は錯覚するらしい。なんともない。デリヘルきっかけで彼氏ができたらしい。会話すると普通そうな方で、こういう人もデリヘルするのかと思った。自分にとって縁もゆかりもない仕事でもやってる人間は、どこかで見た人間の類型だと思った。そもそも、専門性の必要のない仕事だからなおさらだ。にーさやってるらしいけど、そんな感覚(未来を考慮)の持ち主もやってるんだなと。
ただ、サックスという一つのエンタメがエンタメでなくなっているようだった。手を握られたが、ドキドキはしなかった。きっと、デリヘルというは、相手を人間と思わない。つまるところインスタントまんことして、扱わなければダメなのだと思った。でなければ、旨みがない。そもそもそういう扱いされる事に納得の人しかいないはずだし。僕が恐ろしいと思ってるものは、僕の想像力が豊かなだけで別に恐ろしくともなかった。彼氏とのLINEは本当に些細な情報量の増えないやりとりだった。人間は、新しい情報よりも慣れた情報を浴びたいのだなと。
思ってもない事をデリヘル嬢は僕につらつらと言う。きっと、僕以外にもつらつらと言うのだろう。それが処世術なんだろう。そういったものをお金に変換するんだろう。彼氏と、インスタで友達かも?で表示されて運命感じたらしい。アルゴリズムを運命という時代のようだ。
気付いたら一月
え、まじ?なんとなくやらなあかんなー思うて放置してたら、一月経ってるやん。イベントないとか書かへんけど、イベントとしてどう日々を捉えるかっていう話なんかもしれへんなと思う
精神の成長
が大切な気がしてきた。それは、客観性よりも主観の問題で自分の中で認める物だと思う。
他者評価で給料は上がるかもだけど、自己評価で自信はつくのな
油断したら
油断したらマジで日記書かなくなるな。
そんで日記書き出して気付くのは実は、時の流れはゆっくりってこと。まだこんな少しの時間しか流れてないんだと驚く。やることがないと、毎日が長く感じるなぁ
散歩
試しに、40?50?キロほど昨日歩いてみた。
やめるときは、もう身体的に限界だと勘違いしてやめてしまった。
今日、歩いてみると少しふくらはぎが痛い程度で自分がしょぼいだけのことを痛感した。
前半4時間、後半6時間くらい歩いたようだった。自転車で長距離移動する時と一番の違いは進まな過ぎるということ。スマホで距離を見ていると、数が減るというリアクションが無さすぎて、萎える。身体性よりも精神力の戦いだと痛感する。面白みがなさ過ぎる。誰でも出来る気がする。出来ない理由は、変化がなさすぎて飽きる。体の痛み、飽き。この二つがマジで大きい。で、飽きないようにしよう思えるほど(ゲーム性を導入など)余裕はない。前もってゲーム設定をしていないと、最中にそこまで頭が回らない。かつ、複雑なゲームだと対応できない。勝手にこれ以上はやばいということにしてやめたけど、逃げただけで不完全燃焼感が残る。かといってまたやろうと思えるほど、面白ポイントはなかった。身体的にキツイと物を考える余裕がないので、少しの余裕が必要だと思った。